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独居老人の死 [老後の介護や生活]

昨日はお葬式を終えました。
このコロナの絶頂期だけど・・・仕方ないです。

ブログとしては本当は「老後の施設3最終」を予定していたのですが・・・

家内の母(約15年前逝去)の末妹。
もちろん家内は承知の方ですが私は顔すら思い浮かべません。
家内の関係の法事などでお会いした・・・その程度。
未婚のまま独居され、90歳。
連絡は警察からです。
まず家内の兄の息子へ警察が連絡し、それから兄に伝わった・・・
それは家宅捜査で唯一連絡が取れた電話番号だったとか。。。
理由は家内方の法事とかで常に兄の息子が車で送り向かいをしていたからでしょう。

様子の異変を近所の民生委員が気づき、7月16日警察官と家に突入したとのことです。
推定死亡日6月29日。
暑い部屋の中で腐乱死体で。
事件性は無いとのこと。
でも死因は不明です。
まず死体が本人かどうかの判別・・・・前歯を取り、持っていた歯科医院診察券の医院で照会し検査したとのことでした。

状態が状態なので早くお葬式をしなければなりません、が。。。
血縁関係者は・・・
時代的にほとんど亡くなって残っているのは、私の家内兄妹3人と、甥っ子二人と姪っ子二人とのこと。
妹は鳥取在住。その4人甥、姪は過去の電話帳で連絡してもつながらなかったらしいです(警察の調査)
実際家内の兄が持っている電話帳もだめだったとのこと。

冷凍保存の遺体をいつまでも警察が預かってくれません。
連絡が取れない遺族は後から、ということで葬儀を急ぎました。
もちろん親族ですので拒否はしないものの費用は?  後の処理は?
とにかく葬儀を済ませ、焼却場の死亡証明書をもらわないと役所にも行けませんから。

家内の兄は子供二人を引き取って離婚し、今は長く一人暮らしです。
月に一度は家内と安否確認を兼ねて訪問している・・・そんな最近でした。

あまり頼れません。

兄の息子は立派な会社員、とにかく彼と私たちでやろう、と結論し、警察に連絡しました。

すると警察が押収したいろんな書類、家の鍵など渡してくれました。

あのー、びっくりしました。
通帳残高は5千万円以上! 家は二階建てのそこそこの家。
葬儀の前日21日に家内と兄は鍵を持って家に訪れました。
心配した悪臭とかは処理されて安心して入れたとか。
あまり人付き合いの無い方だったので参考になる物は見つからず(あれば警察が押収していますから)、
しかし家財道具、衣類、装飾品など立派。。。
心配していたゴミ屋敷でもなく・・・
通帳を見てわかったことは・・・家内いわく、6月27日に通帳記帳されているから少なくとも27日までは生存されていた・・・死亡推定が29日だから急死に近かったのでは・・・それで誰にも連絡が取れなかったのでは、
との推測でした。

とにかく昨日本人の持ち物から浄土宗による家族葬を行いました。
立派な戒名もいただきました。
参列家族は兄、兄の息子、家内、私。。。
でも立派に行えたと思います。
お骨拾いも終え、長~い一日が終わりました。
兄の息子以外はみんな高齢者・・・・疲れ果てました。
暑い日だったし、マスクも外せない・・・・苦しかったですね。
お骨は兄が預かります。

大変なのはこれから。
不明の残り遺族4人を探すこと、土地、家の処分、役所への届け出、銀行関係、公共料金などの引き落とし停止・・・
いっぱいあります。
休み明けから家内は大阪市都島へ通い詰めでしょう。
大阪、今コロナで大変ですがそんなこと言っておられません。
兄の息子、「俺、もう三回もコロナにかかったよ」と言っていました。
私も傍観しておれなくなりました。

唯一のなごみは・・・どれだけになるか分かりませんが遺産相続かな。。。。

独居老人の孤独死・・・これからも増え続けるでしょう。
他人事ではありませんね。
昔と違って今は、最後はほとんど一人暮らしですから。
終活を上手にして後の人に迷惑がかからないようにしたいものですね。
今回の場合は上手とは思えないけど資産があったから良かったのでは・・・

ま、私は間違いなく家内より早く死ねると思うので・・・・
その心配は無いね~(いかん、冗談を言っている場合じゃない!)
残されるのは家内・・・・


タグ:孤独死
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老後の施設2 [老後の介護や生活]

まず自分がどの程度の介護を要する体か、
そのレベルを知らねばなりません。
老後施設1の記事に図(ちっと見にくかったね)を載せました。
大きくは、要支援と要介護でしたね。
どちらも介護保険のサービスを受けることはできます。
それの細かい規定などは到底、ここで書き切れませんのでご自分で調べて戴いたらと思います(ペコリ)

昔から老人ホームはありましたが寝たきりの老人になっても家族の者が看る、ということが常識でしたね。
そうして家の布団の上で家族に見守られながら人生を全うしたものでしたね。

しかし人間の寿命がどんどん延びて介護する者も高齢になったり病弱になったり、また収入のなくなる高齢者では経済の負担も大変になってきました。
またたとえ余力があっても介護する者が素人では返って老人の状態を悪化させる、というケースも多くなります。
そんな事情から医療健康保険や介護保険、または個人保険、老後の貯蓄などが大切になって来たのですね。
でも不十分な家庭も多い・・・・

介護の親と心中・・・・
こんな悲しいニュースたくさん知りました。
一方、昔の人の年金は多かったのでそれに頼っていつまでも独り者の子供・・・多くなりました。
親が死んでも(殺したり)遺体を隠して年金をだまし取って生活したり・・・
親の大事なお金は個人の老後のため、ろくに働かない子供のためではないです。
逆に言えば自分の老後の蓄えや保険などを用意して自分の子供や家族に迷惑をかけないようにしたいものです。

話は変わります。
うちの父親は認知症が元で20年ほど前に亡くなりました。
今でこそ認知症とか言って病気に分類されましたが当時は痴呆症とか言っていました。
これのまともな病院ってなかったんですよ。
いわゆる精神病院だけだったと思います。もしくは民間のホームグループくらいでした。
当時の日本人は「精神病患者」が家にいる、ってこと隠しましたよ。
だから精神病院へ連れて行くとことすらしない・・・・恥ずかしいから。。。
近所から「白い目」で見られたものでしたからね。
でもだんだん手に負えなくなってきます。
夫婦二人の生活が無茶苦茶で常に私たちが行かないと母親まで狂って来そうでしたから。
それで評判すらよくわからない民間の「ホームグループ」をあちこち見学しました。
でもどうも信用できない・・・・
やっぱり専門病院でみてもらうのが一番・・・恥ずかしいなんか言ってられない・・・・
そう思った私は母親の反対を押し切って大阪豊中市にある有名な精神病院「○○病院」へ連れて行きました。
当時、そこの患者だった者が某小学校で無差別に子供や先生を殺した・・・・
そんな事件であまりにも有名な病院。。。
母親を説得するのは大変でした。
でもやっぱり専門家が多い立派な認知症の病院でした。
何度も自由に面会、見学させてもらいました。
この時の思い出はまた別の機会に・・・

もう少し書いてみると、
親父の豊かな年金や医療保険のおかげで私たちは何の負担もなく立派な治療介護をしてもらえたと思います。
ここは三か月しかおれなかったので後は紹介状で遠くまで転院しました。
そこで誤嚥性の肺炎のため84歳で亡くなりました。

さて、今は母親です。

roken3.jpg

介護認定2 で ユニット型個室専門の特養施設 月約13万円前後

すいません、まだ続きます・・・


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老後の施設1 [老後の介護や生活]

94歳の私の母親は一年半前から特養(特別養護老人ホーム)に入っています。
人生100年時代になり、老後のこと、安易ではありませんね。
たっぷりと資金の蓄えなどがある方は安心でしょうが心配な方も多いことでしょう。

私の母親は自ら施設を希望しました。
父親は約20年前に亡くなり、その後ずっと一人暮らしでした。
すべて計画的だったと思います。
父親が亡くなる前に安い3LDKの賃貸住宅に移ったのも将来に備えたのでしょうか。
私たち家族との同居も拒んでいました。
私たちが歩いてすぐ母親の所へ行けるところに住んでいたから同居と同じでしたけどね。

独居、その理由の一つが遺族年金です。
父親の年金はちょっとした税金がかかるくらいもらっていたのでその遺族年金は私たち家族とは比べ物にならないくらいでした。
だから豊かに暮らせていたのですね。

年金だけでは老後は暮らせない・・・・今はそんな時代ですね。
個人保険や貯蓄が無いとねぇ。

ここから余談になります(汗)

私の所では、家計、貯蓄、一切家内に任せています。
遠い昔給料が銀行振り込みになった時から通帳やカードは預けたままです。
車を買ったり楽器を買う時は家内の許可を得てからでした。
友人とかと飲みに行く時は毎月の決まったお小遣いで。

なぜそうなったか。
それは結婚する時の私のお願いを聞いてもらったからです。

僕は「働く」ということにあまり興味が無い、
働くなら蟻や蜜蜂だって人間以上だと思っているから。
僕はもちろん働くけど他の生きがいに気持ちを向ける人生を送りたい、
またローンや借金は一切嫌い・・・・
その代わり一切のお金、任せます、と。
勝手なお願いでしたね~
双子の子供も育てながら・・・・

今贅沢は出来ないけどちゃんと暮らせているのは家内のおかげです。
だから貯蓄など、我が家にいくらあるのか一切知りません。
二人合わせた年金額も知りません。

さて、本題は老後のことでした。
私は今老後の生活を送っていますが、たぶん老後施設に入らないでしょう。
私の場合近い将来病院に入院してそのまま死ぬと思っています(笑)
運悪く介護が必要な体になったら母親と同じ、迷惑にならないよう施設へ行きますけどね。
今まで自分の願う生活をして来たから施設で「生きているだけ」は無理かなと。
だから「早く死んだ方がまし」と。。。勝手ですね~
でももし貯蓄などちゃんとあるなら残った家内自身のために、と思っています。

下は老後の施設。

roken7.jpg

ネットから画面コピーしたのでちょっと見にくいでしょうが。
ネットに色々載っていますので調べてみてください。

下に載せなおしました。

ro8.jpg

ちょっとはましになったかな?

母親の入った特養は・・・安い? でも入居が難しい?!

次回へ続きます。

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母の携帯3 完 [老後の介護や生活]

前回記事の続きです。

徹夜で思いついたのは、留守電です。

私が打ったメールはほとんど読める所まで来ています。
だが、返信が出来ない!
それは文字打ちが前の携帯と違ったので難しくてどうしても覚えられないからなのです。
言いたいことが打てない!
それでパニックになったのですね。

電話での会話は耳がとても遠くなったので不可能・・・・
前回の記事のようにパニックになって文字が打てないから仕方なく何度も電話・・・
吹奏楽の練習時だったのでスマホの電源は切っている・・・・
たとえ受けたとしても私の声が聞けないだろうから会話は不可能・・・・
しかし偶然にも留守電になっていた・・・・
母はそんなことに気付かないから何度も何度も・・・・

だったのですね。


施設では介護に直接関係のない携帯電話の指導などしてくれません。
ましてや携帯電話は個人情報なので受けてくれません。


でも、

留守電の手伝いは出来ないことはない・・・
個室だから他の人の迷惑にもならない・・・・
そう思ったのです。

介護職員が母の世話をしているとき、
「◎◎さん、留守電入れたかったら電話してみて。留守電の自動音声が終わったら合図してあげるよ」

もし、これをやってくらたら・・・・と思ったのです!
何度か手伝ってくれたら母もタイミングがわかって職員に頼らずに自分で出来るようになる!
オレ、なんて頭いいのだろ!(ウソ)

さっそく施設に電話してお願いをしました。

返事は、
「う~ん、なるほど・・・・でも施設長などに聞いてみますので即答出来ません。」
という返事でした。

やっぱり無理なのか・・・・

と思ったら三日前と今日、

母の留守電が!

そうなんだ、「OK」の返事は無かったけど手伝ってくれたんだ!

「お母さんです~ ティッシュペーパーボックスが切れたので二箱くらい届けてくれませんか。」

はっきりと聞き取れました。

もちろん私はメールで、
「了解です♪ 明日にでも届けますね~ 留守電、上手にできましたね、うれしいです!」
と打ちました。

はい、
私の伝えたいことはメールで、
母の言いたいことは留守電で。

これで解決しましたよ。


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母の携帯2 [老後の介護や生活]

もう止めようかなと思っていた母の携帯、しばらく続けることにしました。
母ももう少し頑張ってみたいと言うし、可能性を見つけたと思うからです。

その後も毎朝私は母に「おはよう~、元気? 無理に返信しなくていいからね」と打って来ました。
ほとんどが空メールの返信ですが送ったこちらのたメールを読んだのは間違いない、と確信しました。

こちらのメールを100%読めているなら成功と思うようになりました。
それは他の方策が気付いたからです。
これは次回になるかな・・・・

まともな字を打っての返信が難しいのは百も承知。
慣れないスマホに似た画面から目標の相手に文字を打って送信するのですから。
前回面談させてくれた時もそればかり一時間も練習させました・・・
でもあやふやなまま終わった・・・・

空メール返信がせいぜい・・・


メールがダメなら電話があるじゃないか。
みんなそう言います。が、

なぜメール交換になったかというと母がかなり耳が遠いからなのです。
目の前の会話なら耳元で大きな声とか、口元や身振り手振りで伝えるが出来ますが電話では無理です。
それで携帯でメール交換になったのですね。

実際、この間のこと。

珍しくも4,5回と母から電話があったのです。
メールで伝えられないからですね。
そんな時に限って吹奏楽部の練習時やお出かけ時。。。
スマホは「サイレント(電源切り)」状態。
いつまでも、何度も何度も私に電話をかけては話し続けていた記録が見えました。
留守電の自動音声も聞こえないから話し続けたり、かけ直したり・・・

幸いというか、いつの間にか本人もわからないまま自然と留守電になったのが2本残っていました。

「もしもし、もしもし、XXXどこに居るの? もう携帯わからないから止めます、気が狂いそうです・・・もしもし、もしもし・・・」

半泣き状態でした。

私も涙が出ました。

この時はやっぱりもう携帯は止めよう、と決断しました。

すぐ施設に電話して「また会いに行くから話そうね、だから安心してね、と伝えてください、と」


その夜、いつもの薬を飲んでも一睡も出来ず・・・


その代わりアイデアが。
それで続けられるかもしれない、と希望を持ったのです。


続く


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母の携帯 [老後の介護や生活]

またまた辛い話で・・・
自分自身のことではないけど辛さはトップクラスだなぁ。
始まった吹奏楽練習も気が入らない・・・いや、好きな音楽も。
私の体調異変がどんどん進む・・・・苦しいです。
何を隠そう、私自身も高齢者ですからね。
施設で暮らす94歳の母。

4月から新しい携帯になってパニックになっています。
携帯会社auでは3Gのガラケーは3月末で終了しました。
母親は長い間GRATINAという3Gのガラケーを使って我々と連絡や意思伝達をして来ました。
施設で介護を受けながら94歳で家族と携帯で連絡を取り合う人は少ないでしょう。
普通の方は介護職員に連絡を取り合ってもらったり手紙ですから。

それでも携帯が無くなれば母親には辛いことです。
それでこの機種に近い新しい物をauから紹介を受け母親に与えました。
KYF37です。
以前にも少しこの事を書きました。
いかにもガラケーですが4Gで仕組みはスマホ感覚です。

kyf37a.jpg
これが難しい!
若い方でもすぐには慣れないでしょう。
携帯は私も苦手ですが94歳の母親にはさらに大変なことでした。
それにかなり耳が遠くなってしまって耳元で話さなければ通じないのです。
だからよけいにメールが大事なのですね。
丁寧に教えれば使いこなせる、と思って渡しました。
あぁ、コロナ・・・・丁寧に教えてあげることが出来なかったです。
面会ができないからほとんど書面で教えるしかなかったのです。
94歳が新しことを書面で覚えて行く・・・・もうそんな引き出しは無いのですね。
何度書面で伝えても以前の携帯手順しかわからない・・・・
以前の引き出ししか開けることが出来ない・・・・
悲しむ母親を思ってか、親しい職員がこっそりと一度だけ面談をさせてくれました。
一時コロナが静まり、10分だけ面会可能の時がありましたが一時間以上も!
10分では何も出来ませんよね。
決まり切った挨拶だけです。
何か起これば私が責任を持つ、ということで。
(いや、本当はこの職員も)
でも有難かった!
もう一か月以上経ちました。
まだ格闘中。
今の私の思う成功率は・・・・悲しいかな、20%くらい。
苦しむ母親は、
「もうこれからは手紙だけでいいよ。」と手紙。
続きは次回に書けるかなぁ。
残念な結末覚悟です。
今は後悔しないように全力で母親に向かうだけです。

タグ:3G携帯
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